VJとは何か――実務におけるVJの考え方

みなさんはVJという言葉から、どのような人たちのことを想像しますか。

クラブに遊びに行ったことのある人なら「スクリーンに映像を投影している人」とか、「DJの映像版みたいなもの」といった印象があるかもしれません。クラブカルチャーに馴染みがない人でも「なんとなく映像関係のことやっている人」という漠然としたイメージがあったり、あるいは著名なVJの名前なら知っているという人も少なくないでしょう。また、オーガナイザーであれば「いつもVJをお願いする○○さん」のように、身近なVJの姿が思い浮かぶかもしれません。実際にVJとして活動している人にとっては言うに及ばず、といったところでしょうか。

Wikipediaの「ビデオジョッキー」では、VJ(表現者、操演者)として次のように説明されています。

VJ(表現者、操演者)
DJが複数枚のレコードを組み合わせて音楽を作るようにクラブやディスコ、コンサート会場で音楽に合わせてビデオ映像等を流したり、ライブで映像を組み合わせたり、リアルタイムで製作したり、あらかじめ作っておいた映像を流したり、その手法は様々。最近はDVD、DVJ、PC等を用いたスタイルが一般的になりVJをビジュアルジョッキー(visual jockey)と解釈することもある。

この説明にも見られるように、一般的には「VJパフォーマンスをする人がVJである」というふうに認識されています。確かにこれはVJの一面を表していて、観客が考えるVJの姿としては妥当な認識と言えます。しかし、実際に現場で働く関係者の認識としては不十分です。

「VJとは何か」という問題は、実務的には合意形成の問題として帰結します。この記事では、そこに至るまでの考え方をひとつずつ整理しながら、順を追って解説していきます。

VJの定義

まずはじめに、VJの定義について確認しておきましょう。VJという言葉には、次の2つの意味があります。

  1. VJパフォーマンスの手法・内容のこと(例:○○さんのVJは見ていて惚れ惚れする)
  2. VJの担当者のこと(例:○○さんというVJをブッキングする)

私たちは普段、両者の違いを無意識のうちに理解していますが、ここからは便宜上、前者のことを「パフォーマンス」、後者のことを「VJ」というふうに書き分けていくことにします。

この区別はとても些細なことのように思われるかもしれませんが、そうではありません。なぜなら、実務ではパフォーマンスとVJが必ずしもイコールの関係にあるとは限らないからです。これについては、別の機会に詳述します。

VJのモデル

現場でよく問題になるのは、VJの定義よりも、VJに対する認識です。VJは現場の関係者からどのような存在と思われているのでしょうか。また、どのような役割を期待されているのでしょうか。

こうしたVJに対する認識や価値観のことを総称して「(VJの)モデル」と呼ぶことにします。現場では誰もがVJに対して何らかのモデルを持っています。「スクリーンに映像を投影している人」というモデルを持っている人もいれば、「DJの映像版みたいなもの」というモデルを持っている人もいるでしょう。モデルの内容は各自がVJに対して抱いている印象に依存するため、十人十色、多様なパターンが存在します。

モデルの不一致がトラブルにつながる

ここで気を付けなければならないのは、VJが考えるVJのモデルと、現場の関係者(とりわけオーガナイザー)が考えるVJのモデルとが食い違っていると、イベントの運営に支障をきたすということです。

VJの行動理念(活動方針・仕事の進め方など)やオーガナイザーの行動理念(ブッキング方針・VJの評価基準など)は、各々が考えるモデルにもとづいているため、両者のモデルが一致していないと、そこから大きな誤解が生まれます。たとえば、VJが良かれと思って講じた施策が実はオーガナイザーの意図に反していたという事態が起こり得ますし、もちろんその逆もまたしかりです。これは現場にとって好ましい状況ではありません。

そこで、現場には何らかの共通したモデルがあると都合がよいということになります。逆に、共通したモデルを持たない現場や、不適切なモデルが共有されている現場では、さまざまな局面で問題が生じやすくなります[1]

実務におけるVJのモデル

それでは、現場にとってふさわしいVJのモデルとはどういったものでしょうか。

これはとても簡潔な話で、「VJのワークフローを過不足なく遂行できる者がVJである」というモデルにほかなりません。VJは映像演出によってイベントの成功に貢献しますが、その演出効果は具体的にはワークフローの遂行によって得られます。したがって、少なくとも現場ではVJのワークフローをバランスよくこなせる人材こそがVJであって、VJの価値はそれ以上でもそれ以下でもありません。

活字にするとあまりにも当然のことで拍子抜けしてしまいますが、しかし多くの現場では誰かが意識的に働きかけていかない限り、こうした合理的なモデルが共有されることはありません。では、どのようなモデルが現場の多数派を占めているかというと、冒頭にも述べたとおり「VJパフォーマンスをしている人がVJである」という、パフォーマンスとVJを混同したモデルです。

VJのパフォーマンス

そもそも、VJのパフォーマンスとは何でしょうか。ここからはいったんモデルの話から離れて、その特徴について簡単に説明します。

パフォーマンスは即興演奏

舞台演出に映像を用いる場合、VJという概念が生まれるまでは、あらかじめ編集された映像を、あらかじめ決められたタイミングで、順番どおりに再生していくことがほとんどでした。一般的な舞台の演出は台本にしたがって進行するため、本番中にオペレーターのアドリブで別の映像を使ってみたり、再生する順番を入れ替えてみたりする余地はありません。

これに対してVJは、現場でリアルタイムに映像を作り出していくという点で大きく異なります。しかも、VJのパフォーマンスは、その日、そのイベント限りの即興演奏のようなもので、基本的に同じパフォーマンスを再演することは目的としていません。なぜなら、VJによる映像表現は、ただやみくもに作り出されたものではなく、現場環境からリアルタイムに得られた演出的根拠にもとづいているからです。

つまり、VJはイベントのテーマや、あらかじめ決定している演出展開を映像表現に盛り込むだけではなく、各出演者の意図や楽曲の特徴(ジャンル・サウンド・BPM・文脈・時間帯など)、それに対する観客の反応といった、刻一刻と変化していく現場の様子を常に観察・分析しながら、その一瞬にふさわしい映像を選択していきます。

実際に映像をアウトプットするまでの方法論は、VJ(あるいはVJグループ)の個性や方針によって多様なバリエーションが見られますが、いずれも共通しているのは、その映像表現が現場環境との対話によって必然的に生まれたものだということです。一般的にクラブイベントはコンサートなどとは異なり、同じ構成の公演が何日も連続して開催されることはありませんが、仮にそのようなイベントがあったとしても、特別な取り決めがない限りVJのパフォーマンスはその都度違ったものになるでしょう[2]

現場に応じたパフォーマンスの選択

とはいえ、イベントの内容によっては、従来のようにあらかじめ編集された映像を使用したほうがよい場合もありますし、カメラの映像を直接見せたほうがよい場合もあります。また、Max/MSP/JitterやQuartz Composerなどを利用したり、電子工作を組み合わせたりすることでおもしろい効果が得られる場合もあるでしょう。VJは特定の手法に固執することなく、現場に応じてさまざまな手法を使い分けていきます。

不適切なモデルがVJの仕事を妨げる

以上のような観点からの考察は、今日の典型的なVJについて理解するために役立ちます。おそらく一般的に認識されているVJのイメージとも、おおむね一致しているのではないでしょうか。

しかし、これはVJのパフォーマンスだけに着目した考え方で、そこに至るまでのプロセスがまったく考慮されていないことに注意してください。実際の現場では、パフォーマンスはVJのワークフローのうちのひとつにすぎません。むしろ重要なのは、パフォーマンス以前のワークフロー(ブッキングから開演まで)です。なぜなら、その期間の取り組みがパフォーマンスの精度に直結するからです。

パフォーマンスは他の作業と両立できない

VJが常に「観察→分析→アウトプット」という動作を繰り返していることは前述しました。これは片手間でできることではなく、たいへんな集中力を要する作業です。イベントがいったん開演すると、VJは多くの場合、終演までパフォーマンスに専念しなければなりません。公演が予定どおり進んでいるうちはそれでも問題ありませんが、もしトラブルが発生すると、VJはパフォーマンスと同時進行でそのリカバーを迫られることになり、安定した演出の維持が難しくなります。しかも開演中に対処できる選択肢は、開演前のそれと比べて限られたものしか残されていません。

VJにとって理想的なのは、パフォーマンスだけに集中できる環境です。しかし、残念ながら現場にはトラブルが付き物です。実際の現場でVJが本来の能力を発揮するためには、開演中のトラブルをどのように防ぐか、あるいはトラブルによる演出への影響をどのように抑えるかといった課題と向き合わなければなりません。

パフォーマンスだけがVJの仕事ではない

トラブルはその対処にあたる当事者に、あたかも突発的に発生したかのような印象を与えます。しかし、実はその大半があらかじめ予見可能だったリスクを放置し続けた結果であり、起こるべくして起こった問題です。したがって、問題が表面化してから個別の事案に対処していたのでは、根本的な解決には至りません。パフォーマンス以前のワークフローが重要なのは、その期間にあらゆるリスクへの対処が可能だからです。開演中に発生するトラブルへの対処は、開演前までに終えておくべき課題なのです。

VJがトラブルを回避するために行う一連の施策は、「VJのための保険」という消極的なものではありません。むしろオーガナイザーの意図を達成するための積極的な取り組みです。こうした施策が成果を上げるためには、VJと現場の協調が不可欠です。ところが、VJに対する現場の関心がパフォーマンスのみに向いていたとしたらどうでしょうか。こういった取り組みに対しては理解が得られず、実務の遂行は難しくなるでしょう。

「VJパフォーマンスをしている人がVJである」というモデルが現場にとってふさわしくないのは、そこに「VJは現場に入るだけで自動的に本来の能力を発揮できる」という非現実的な前提があるからです。VJの仕事はパフォーマンスだけではありません。そこに至るまでのワークフローすべてが等しくVJの仕事です。

VJのモデルが現場のコンセンサスを左右する

このように、VJのモデルは、現場におけるあらゆる合意形成の源泉となる概念です。

「VJとは何か」という問いは、ともすればアカデミックな話題のように思われがちですが、実際は現場でこそ確認されなければなりません。VJの仕事は、すべてオーガナイザーとの合意の上に成り立っているからです。それを支えるための適切なモデルを共有することが、イベントを成功へと導く第一歩となります。

脚注

  1. 現場でVJのモデルを共通化する意義は、要件定義が果たす役割と似ているように思われるかもしれません。しかし、VJのモデルは要件定義よりも上流の概念です。そもそも現場に適切なモデルが共有されていないと、要件定義を実施することができません。その必要性について合意が得られないからです。
  2. VJの表現行為・形式としての特徴や芸術的観点からの考察は、本村健太氏による論文「VJとは何か―映像メディア表現の新たな可能性について(※PDF)」で詳述されています。